札幌の発展と共に歩み、地元の銘菓として市民に愛されてきた 月寒あんぱん。
その歴史は古く 100年以上前の1911年 当時の旧陸軍歩兵第25連帯が 札幌の平岸から月寒にかけての区間で 道路整備の勤労奉仕を行った際、間食として ひとり一日5個支給され 兵士達の活力源となっていた甘味であります。
ちなみに この平岸(国道453号)から月寒(国道36号)にかけての道路は「アンパン道路」と呼ばれ 、今も道路脇には その名が記された看板や石碑などを見ることができ、札幌の主要な生活道路として日々使われています。
月寒あんぱんの歴史をひもとくと 月寒に駐屯していた旧陸軍歩兵第25連隊内で菓子販売を行っていた大沼甚三郎により考案され、その後 連隊正門前には7軒ものあんぱん屋が出店するほど人気を呼び、月寒はおろかすっかり札幌を代表する名物菓子になって行きました。
が、戦中戦後の大変な混乱の中において 店は次々と姿を消してしまい、一時 月寒あんぱんは 目にすることすらできない幻の味となっていましたが、そんな状況の中で 唯一 「ほんま」だけが 戦後復興の初期にあたる昭和22年、月寒あんぱんの製造を再開し 伝統の味は復活、その後も時を越えてその美味しさを守り続け 今日にいたっています。
伝統の味を造り続けている「(株)ほんま」の創業は 明治39年、初代・本間与三郎が 17歳の時 連隊に日用品をはじめ さまざまな物資を納める「大原屋本間商店」として開店したのがきっかけであります。
店を営業する傍ら 考案者である大沼甚三郎から「あんぱん」の製造法を教わった本間与三郎は、妻とともに一つ一つ丁寧に手作りし、レンガの「トンネル窯」に炭を入れ、その上に鉄板をのせて下火と横火でしっかりと焼き上げて、その味を待つ連隊へと運びました。
黒砂糖でじっくりと煉った「こしあん」がたっぷりと入り、ひとつ「一銭」で 値段の割りにやや大きめのお菓子は、甘いモノがたいへん貴重だった時代に 過酷な労働を強いられていた兵士たちの間で大人気となりました。
<原材料>
こしあん [ 小豆こしあん(北海道産)、砂糖、水飴、食塩 ]、小麦粉、砂糖、鶏卵、水飴、蜂蜜、膨張剤
「あんぱん」の名称が付いていますが 一般的に菓子パンとして発売されている フワッとした「あんぱん」とは違い、食感はカステラとパンの中間くらいで、卵を多めに使うことで 生地の風味を良くしています。
その食べ応えは 限りなく「饅頭」 もしくは中国の「月餅」に近い印象の和菓子であります。
表面の「生地」は薄く 密度の高いしっかりとした食感で、程よい甘味が感じられる「薄皮」であります。
水分が控えめで しっかりとした密度の高い仕上がりになっており、賞味期限が製造から1か月と保存が利く点も 普通の「あんぱん」とは違うところです。
ずっしりと入っている 中の「こしあん」は 当然ながら それなりの甘さを感じますが、けして甘過ぎるようなことはなく、日本一の品質として名高い「十勝産小豆」本来の 素材の風味が活かされている、言うなれば「ちょうどいい感じ」の「こしあん」になっています。
より甘いモノが好まれた時代に生まれた月寒あんぱんでありますが、時代の移り変わりとともに 甘さが抑えられるようになり、さらに大きさも幾分小さくなっています。
現代人の好みに合わせて味も形も変化していますが、基本となる原料へのこだわりと丹念な製法は 創業以来まったく変わらず、しっかりとした理念で守り続けています。
より美味しく食べられる「お供として」 日本茶はもちろん、コーヒーや紅茶にも合いますし、一番のオススメは牛乳で、双方がまろやかになるベストな組み合わせであります。
現在売られている ほんま 月寒あんぱには 昔からお馴染みの大定番である 「元祖」のほかに、「抹茶あん」 「黒糖あん」 「かぼちゃあん」 「黒胡麻あん」があり、さらに形や大きさをアレンジした「スティック」や「ミニ」もあります。
明治時代に生まれ 激動の昭和を経て 平成の現在に至るまで 札幌名物のひとつとして 「(株)ほんま」とともに歩んできた超ロングセラー商品であるほんま 月寒あんぱんは、北海道が誇る「十勝産小豆」の「こしあん」と それを包む伝統の「薄皮」により作り上げられた、どこか懐かしさを感じさせる素朴さ、シンプルながら深い味わい、重たそうで軽い食べ応え・・・
いくつかの要素が重なって 長い年月を超えて いつの時代も札幌市民および北海道民に愛されてきた 庶民派の北海道 ”B級” 銘菓であります。
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